社畜卒業
2019/07/26
「日本語」はとても繊細で美しく、
世界に誇れる日本人の誇りだ。
だけど、大嫌いな日本語がある。
「余生」
「余暇」
この言葉は絶対に私は使いたくない。
多分今日まで使ったことは一度も無いと思う。
リタイアした後の「余った人生」を「余生」と言う。
ほとんどの時間を仕事に費やし、「余った暇な時間」を「余暇」と呼ぶ。
逆だろう?
やりたいことを好きなだけやって、
家族と時間を共に過ごし、
余った時間で働けばいい。
もしくは、
やりたいことを仕事にすればいい。
”渋滞にハマり、満員電車でつり革にしがみついている時間”
があなたにとって大切な時間なのであれば、それを継続すればいい。
物質的に豊かな生活を求めているのなら、それも個人の自由だ。
そうでないのであれば、違う選択肢だってあるのだ。
”現状を嘆くのに、変化しようとはしない”
経営者の視点から見ると、絶好の社畜体質だ。
でもまあそれ故に高度経済成長を成し遂げ、
ここまでの先進国に成り上がれたのだから、それも日本人の誇るべき国民性なのか、、、。
でも私は純粋に嫌だった。
社畜は卒業したかった。
綺麗な景色を見て「綺麗だなぁ」と感じたり、
いい音楽を聞いて「うわー、いいなあ」と感じる余裕すらなくなるくらい忙しかった。
そんな日々を生きながら、”余暇”なんて楽しめるのか。
そんな生き地獄を耐え抜いたあと、一体どれほどの”余生”が残っているというのか。
私の場合、実行に移すまで5年かかった。
友人も身内も知り合いも居ない土地に飛び込むのには勇気と覚悟が必要だった。
でも今は
「もっと早く来ていれば」
と家族全員で言っている。
それが全てだ。